女の子は誰でも(Fly Me To Heaven)

「ほらマスヤマ、しゃんとする」
「は、はい、ひゃっ」
 大きな鏡の前で下着一枚になって、背中をあの人に叩かれる。和江商事(ワコール)の着替え部屋で、益田と榎木津は最新式のホルターネックブラを試していた。慌てている店員をよそに、榎木津は小さな益田の背中から肉を寄せて、ブラジャーの中へ形を寄せていく。上手かった。
「ほら! Bはあった」
「わあ……僕に胸あったんですね」
 魔法みたいだった。鏡に映る自分が、なんだか貧相ではないみたい。
「女の子は誰でもあるだろ。しゃんとする」
「は、はい」
「これ買うから、そのまま着てなさい」
「え、でも」
「お会計」
 榎木津は店員にあとを任せてレジへ行ってしまった。益田はいそいそと服を身に着けて榎木津を追う。ブラに覆われた胸は少し苦しいけれど、形の良いシルエットが前面に張り付けられたと思うと、なんだか嬉しい。
「かわいい」
 益田はぼそりと呟く。それは榎木津が益田にかけてくれた魔法の言葉だった。貧相な体がコンプレックスだった益田に、初めて会った榎木津がそう云ってくれた。あの時のことを忘れない。
「いくよ」
「あ、はい」
 銀座の通りをいっぱいの紙袋をもって榎木津について歩く。美しい彼女に皆は振り返って、時を止める。その隣を歩けることは密かな喜びだった。いつだって彼女に恋をしていた。少しでも彼女の好奇心を満たせるのなら、何だってする。そう益田は決めていた。
「おなかすいた。パフェが食べたい」
「どこかに入りますか?」
「うん」
 太陽よりも美しい顔で彼女が笑うから、きっと世界のどこだって明るい。

「女の子は何でできている? 女の子は何でできている? 砂糖にスパイス、それにすてきなものばかり、そういったものでできている」
 榎木津が嬉しそうにフルーツパルフェを細長いスプーンに乗せて食べている。機嫌がよくてよかった。
「でも蛙とカタツムリもいいな」
「ぬめぬめしてますね」
「ひんやりしてて好い」
 この間迷い込んだ蛙を捕まえて嬉しそうに見せてきた彼女だから、男の子の好きなものだって平気なのだろう。そういう益田も嫌いじゃない。田舎にはぬめぬめが沢山ある。
「アマガエルの表皮には毒になる成分があるからちゃんと手を洗う様に」
「そうなんですか? 可愛い顔してるのに」
「可愛いものには棘があるんだ」
 そういってサクランボを抓んで、ひょいと食べてしまった。この間育てている鉢の薔薇に、刺されてしまったことを云っているのだろうか。榎木津への贈り物でよく貰う薔薇の苗は、いま探偵社の窓際をずらりと占領している。益田が世話をしているから、薔薇の勝手はなんとなくわかる。柔らかそうな棘だとおもったら硬くて鋭いことがままあるのだ。
「榎木津さんは棘だらけですもんね」
「失礼な。僕に棘があったら大変だろう」
「大変ですか」
「お前を抱きしめられないだろう」
 平然とした顔で云うからまいってしまう。
 指先にけがをしながら渡された薔薇。
 薔薇の下では秘密をするんだよ――そういってキスをされた。まるで処女のような顔でいうものだから、ときめかずにはいられない。
「ぼくは」
 体が熱い。
「僕は、あなたの棘ならいくらだって刺されても、いいですよ。毒だって、呷ります」
「そう」
 きっといま顔は真っ赤だ。でもちゃんと云えるようになった。胸が締め付けられる。ブラの所為だ。
「僕はいつでも天国にいるようなものだし、あなたのこえはラブソングに聞こえるし、――烏滸(おこ)がましいですけど、あなたのたった一人になって、死がふたりを分かつまで添い遂げたい。一緒にいるだけで、生きてるって、血が沸き立つし……そんなことを考えます」
 耳がチリチリする。苦しい。ブラの所為だ。
 益田が赤くなっているのを面白がるように、榎木津は益田の額(ひたい)をつついた。
「あいてっ」
「かわいい」
「ふあ」
 また魔法をかける。
「じゃあ云って。僕が欲しい、キスして、天国に連れてって」
「そんな」
 ぐい、と顎を掴まれて、鳶色の瞳で体の中を覗き込まれる。吐息が甘い。榎木津の瞳に映った益田は、動けずに固まっている。
「ぼ、僕は――」
 血が沸騰している。もしかしたらカフェーにいる人たちに見られているのかもしれない。いけないことだ。なにもできない、そんな勇気は何処にもない。
 でも、あなたが望むなら。
「冗談。お前は僕のものだから、僕だけにそう云う顔見せればいいよ」
「は」
「おいで」
 榎木津は立ち上がって悪戯っぽく笑いながら益田の手を取った。
「天国へ連れてってあげる」

「――っていう社長令嬢とメイドの甘く切ない少女小説、どうですか」
「益田君妄想力だけはあるね……」
 中禅寺家の座敷で関口と益田が薄い茶を飲みながらのんべんだらりとしている。二人とも中禅寺待ちだ。関口が小説のネタに困っているというから、益田が一つ妄想を披露した。関口はただの世間話だったのに一つの物語を語られて少し狼狽している。自分の小説より良くできているのではないかと暗くなってしまう。
「いいでしょ女子と女性のあやしい雰囲気」
「でも僕はそう云うの書かないから……」
「いっそのこと僕が書いて持ち込みますかな」
「持ち込むの」
「冗談ですよウ。僕に文才はありません」
「そ、そう」
 関口はほっとしたことを隠せない。些細なことも気にしてしまってしょうがないたちだった。
「僕は関口先生のネタの足しになればと。何の権利も主張しません。ほら映画の権利とかでもめたりするでしょ、そういうのは一切なしです」
「大仰だね……」
「まあ書いたら教えてくれとだけは要求しますけど。あ、ちゃんと買いますから心配なさらずに」
「ぬかりないね……」
「そこは献本を要求したまえよ」
 二人が盛り上がってるところに、何の気配もなく中禅寺が現れた。
「わ、中禅寺さん」
「吃驚するじゃないか……」
「全く君たちも暇なんだね、こんなところで猥談をする暇があったら家なり事務所なりに帰って仕事をしたまえよ」
「いえいえ中禅寺さんに用があってきましたんで」
「ぼ、僕も……」
「僕は暇じゃないぜ」
 そういって結局話を聞いてくれる中禅寺はやさしいなあと益田は思った。それと、さっきの話を聞いていたなら、猥談ではないと思うのになあ……とひとりもやもやする。
「ほら、京極堂はそういうところ初心だから」
「はあ」
 関口に耳打ちされる。なんとなく自慢げなくちぶりの関口を少し笑った。帰ったら社長令嬢に詳しく話して聞かせよう。きっと悪戯っぽい笑顔で、ここに乗り込むんだろう。メイドはそれに、付き従うのみ。 

2018-10-26
Roman#122

東京事変『女の子は誰でも