榎木津礼二郎に出会ったことが益田にとって衝撃体験であったことは間違いない。くたくたになって箱根山から帰って来たますだはあの人のことをぼんやり考えていた。自分の思ったことを真っすぐ云って、でもわけがわからなくて、それでも正しくて、そして――うつくしいひと。騒音のように過ぎていった。かれは探偵だという。あんな探偵があっていいのか益田はわからなくなった。探偵とは何か。探偵は神。強烈な印象が益田の中に渦巻いている。
あの人の傍にいられたら。
欲求不満だったのかわからない。益田はからだが熱くなるのを感じた。吃驚した。溜まっているのか。
疼く熱を逃がそうとして、腫れたところを触ったとき、浮かぶのはあの麗人だった。
「は」
後ろめたい欲求を、誰にも知られないように吐き出す。それを何度も繰り返して、思いが凝り固まってしまうとは、益田は思ってもみなかった。
交通課の仕事もそれなりにちゃんとやっていたと思う。けれど益田は自分の中心に出来上がった欲望を、意識せずには仕事ができなかった。今の自分は嘘で、本当は、と考える。でもそれを気づかれないように真面目を装っていた。
傲慢な考えだと思う。自分がかれの下に赴いて、何かの役に立つ。でも行かなければ何も始まらない。どうしようか知ら。駄目だと云われたらピアニストにでもなろう。そんな保険を考えてしまうところ、自分らしいと思う。
「駄目」
東京まで赴いた。身一つできたのは勝手で、でも受け入れられないで罵倒されているのは寂しい。
「だめ、ですか」
恐る恐るかれを見ると、めんどくさそうな顔をしていた。綺麗だった。
「君はせいぜい探偵助手」
「助手」
一応のところ、受け入れてもらえたらしい。いきなり調査に駆り出され、千葉や東京を歩き回った。その合間に東京に下宿を借りる。小さな部屋でよかった。
「助手かあ」
あの人によって定められた役割が嬉しかった。どうやらあの人には下僕が沢山いるらしい。その中の一人になれたことが嬉しい。
東京の夜も虫が鳴っていた。布団に横たわって、またぼんやりあの人のことを考える。腫れた肉を触って、快楽をわずかに感じて。
「は」
あの人は他人の記憶を見るのだという。そうしたらこの腫れた肉も見られているのだろうか。そう思ったら体の奥がもっと熱くなった。考えていることはわからないのか知ら。分かってしまったら、こうして自慰していることが自殺行為になってしまう。
ばか。変態。
そう云って罵倒するかれを思い浮かべて、また股間を熱くする。
「あ」
達してしまいそうになる。それは許されることなのか、いけない事なのか、わからない。
どんな形であれ、益田は、榎木津が好きだということに、気が付いてしまった。自分はおとこで、あの人だってちゃんとしたおとこだ。いままで誰かを好きになったことなんてないから、自分が正しいのかわからない。おとこを、好きになっていいのだろうか。
でも、あの人に、触れられたい。
「ん、あ」
すぐそこまでかれが匂って、おとこらしい手に握られて、益田は射精した。よくできたね、と褒められる幻想を見る。意識が冷えていって、自分はおかしくなったんだと不安が広がっていった。
これは拍手喝采されることのない、恋だった。だから隠して生きるしかない。かれを盗み見て、隠れて自慰をして、思いを消化する。
傍に置いてくれるだけで満足しないといけない。それ以上を望んではいけない。美しいかれに釣り合わない自分は、それだけで十分なはずだ。
風が吹いて精液の匂いを流していった。幻想はただ美しくて、どこまでも益田を包んでいた。