21世紀宇宙の子(Child Of The 21st Century Universe)

 目が覚めた。
 秋の空はまだ暗くて、僅かに朝焼けの兆(きざ)しを塗り付けている。ダブルベッドの片側が、静かな空間になっていることに気が付いて、益田は小さく息を止めた。
 かれはいない。
 その事実を確認して、また瞳を閉じる。手に触れた木綿のハンカチーフを握って、鼻を埋めた。まるでそこにかれがいるようで、甘い香水のような匂いが、益田の眼窩を引き留める。
 大丈夫。
 一人だってできるところを見せなければいけない。何だって見通すかれの為に、目を凝らしながら。
「がんばれ」
 自分のなかの柔らかい部分にむけて、益田は小さな声で呟いた。大丈夫、僅かながらに自分は変わっていっている、丈夫な体に、揺るがない心に。
 そのためにはさよならをいわなければならない。かれに依存している魂を、引きはがして。

「好い秋晴れですなあ、こういう日は仕事が捗る。早速調査に行ってきます、あ、和寅さんのお茶飲んでからでもいいですよねえ」
「益田君立つか座るかどっちかにしたまえよ」
 寅吉がお盆に湯呑を載せて益田の前に持ってきた。自分の分もあって、ソファの対面に座って飲み始める。当たり前だが二人分しかない。
「無理しないでいいんだぜ。急ぎでもないんだろう?」
「いやあ、早くやっちゃわないと……大事なものらしいので」
「失せモノ探しねえ。先生がいたらすぐなんだろうなあ……ああ、失礼」
 寅吉が頭を掻きながら目を伏せて、緑茶を啜る。
「僕は平気です」
 益田も遠くを見て、息を吐いた。探偵社が静かだった。
「代わりのものが、宝物になったらいいんですけどね。でも、その人にとっちゃあ、なくしものだけが本物の宝物なんだよなあ」
 失ったものはつかめないから、美しく思い出の中で輝く。代替品ではいけないのは、思い出が付随するからなのだろう。
 代替なんて、不可能だ。
「じゃあ、行ってきますね」
 益田は湯呑をテーブルに置いて、立ち上がった。
「無理はいけないぜ」
「解ってます」
 寅吉が少しだけ心配そうにいうから、益田は笑って見せた。
 少し困ったような笑い方だった。
 

 夕日が沈む神楽坂を上って、益田はその美しい光景を見ながら溜息をついた。
「よかった」
 失せモノは見つかって、先ほど渡してきたところだった。美しい赤が見える世界を染めて、なんだか懐かしさで胸が詰まる。眩しいひかりを遮って、益田は目を細めた。
 泣きそうになる。
 自分一人で解決できて、少しは誇っていいのか知ら。胸が痛い。こんなとき、あの人はなんていうだろう、そればかりが気になってしまう。
「――がんばれ」
 泣きそうになる目を強めて、益田は駅の方へ歩き出した。地面を踏みしめて、少しずつ進む。体が揺れる。この体は自分という魂の入れ物で、あますところなくたましいは染みわたっている。それならば、僅かでももあの人の魂が混ざっているかもしれない、そんなことを夢想する。胸が高鳴る。ここにいないあの人が、すぐそばにいるみたいで、体の奥に火が灯る。
 大丈夫。
 益田はポケットに手を突っ込んで、柔らかい木綿のハンカチーフを握りしめた。まるであの人の手を握っているみたいで、暖かい。
 また泣いてるなあ、と耳元でいわれた気がして、益田は遠くの眩しさを輝かせた。

 一日の仕事が終わって、益田はいつものように榎木津の部屋を訪れた。益田が掃除をしているから綺麗で、ピアノやレコードに埃はかぶっていない。それのどこにだって、益田は榎木津を見いだせた。懐かしささえ感じる。
「運命だったんです」
 誰に云うでもない独り言が、ぽつりとこぼれ出た。ここに来たのも運命だし、かれに出会ったのだって運命だ。ただそれを言葉や数字でうまく表せない。
「寂しいです」
 それは益田の本音だった。いつだってそこにいて欲しかった。今は手の届かないところにいる。その現実を、受け止められない。
 世界が色あせていく。
 塗り替えていかなければいけないのはわかっているけれど、すべてが夕日に照らされたようにセピア色になる。自分はこんなに弱かったと、確かに理解した。
「馬鹿だなあ」
 後ろから抱きしめられる。確かに感じる体温が、鼓動が、吐息が、そこにあった。
「え、榎木津さん……」
「僕はいつだってお前の傍にいるよ」
「なんで……」
 振り返れば、少し笑っているかれがいた。
「なんで急に旅行なんていっちゃったんですかあ!」
「お土産」
「ありがとうございますう! でも急に二週間も連絡取れないとかやめてください! 連絡来たと思ったら沖縄からの絵葉書とかやめてください!」
「うん」
「反省してないでしょ! 大変だったんですよ!」
「うふふ」
 こうやって終わりのない問答をする時間が好きだった。やっぱりかれは、傍にいた。
「笑った方がかわいい」
「は、はい……ってごまかさないでください!」
 悲しみの後の幸せは、なんて色鮮やかなんだろう。益田は泣きながら笑って、榎木津のハンカチーフで涙を拭いて見せた。きっともう、かれの代替はいらない。

2018-10-23
Roman#118
[pixiv]

東京事変『21世紀宇宙の子