きらきらと舞う埃を照らして、探偵社の居間は午を迎えている。あの子はいないらしい。
「おはようございます先生」
「いないな」
「いない? ああ益田君ですか。いま浮気調査で池袋ですぜ。こんないい日和にこそこそしなきゃならんことをねえ。勿体ない」
「ふうん」
あの子が云う仕事をしているのだろう。ごみごみした大都会のなかを小さく歩き回るかれの姿が浮かんで見えた。
探偵になりたいと云って来た。
それを叶えるためにあの子は仕事をする。僕の云う探偵にはとても無理だということもちゃんと解っているらしい。幾分かは聡明だ。
浮足立っている。
「和寅、珈琲」
つまるところ益田龍一と云うおとこは僕に従うために山を下りてきた。取り巻く世界に違和感を覚えて、新しい何かを求めて。
美しい理想を携えている。
純朴なのだ。
例えばそれは真夏の太陽や真冬の月光、それに深い海よりも雄大で輝くもの。――そんな幻想を求めている。
探偵という役割を掴むことはきっとない。それが叶うとしたらこの地球ではないどこかの話だ。叶う夢がないこの星は、かれにとってもしかしたら荒廃した世界かもしれない。宇宙が鳴る音に耳を塞いで生きなければならない程の。
だけれど僕がいる。
あの子は僕ばかり見ている。
知っているけれど教えてやらない。
だから僕が祝福を送ることは正しくて、簡単なことなのだ。それをすればかれはこの世界にとどまるしかなくなる。林檎を齧ってしまったように、罪を犯してしまったように。
そのことを最近考えてばかりいた。
「なんですか先生、今日は機嫌がいいですね」
「うん」
あの子は僕ばかり盗み見ているけれど、僕だってあの子を直視している。いつの間にかそうなってしまった。釣り目がちな目を伏せて、細くてしなやかな指で書類を繰る。伸びてきた髪を耳に括って、目立つ八重歯を零しながら珈琲を啜る。
悪くない。
もっと触ってみたかった。触れて、確かめたらどんな顔をするのだろう。どんなこえをあげて、どんな目で僕を見るのか。
それ以上の意味を持たせてくれるのか。
よくない事だとわかっている。かれは若者で、おとこで、下僕だ。僕の命令を聞いてしまう、哀れな下僕。だからいわない。云ってしまったら、永遠が始まってしまう。
「出かける」
立ち上がってドアーへ歩き出した。
「あら先生、どこへ」
「どこか」
今頃あの子は公園にいる。草臥れてため息をついている。
もうどこにも帰さない。帰る場所は僕の隣で、そこで息をしていればいい。熱い目で僕を見ればいい。触れた部位の熱を上げて、鼓動を早くして。始まらない永遠は、僕が飲み込むよ。