R18
バーのカウンターで寝そうになっている益田を榎木津は見つめていた。頬杖が崩れてそのまま突っ伏してしまいそうになっている。顔はきっと赤い。暗がりの中だからはっきりとわからない。居酒屋を連れまわして、最後に来たのが探偵社のビルの地階にあるバーだった。
「あれ、榎木津さん、僕、寝てましたか……」
「舟をこいでる」
「飲み過ぎました……」
頬を擦って、出されているチェイサーにくちを付ける。
とろんとした目が可愛い。
益田は目を擦(こす)って、くあ、とあくびをした。いつもピンと張っている緊張がここにはない。これがきっとかれの素の態度なのだろう。いつもこんな風に自分にもたれればいいと思う。自分をなくさなければきっとこんなことはしてくれないのだろうけれど。
このまま食べてしまいたい、そう思っている自分がいる。これはきっと自分の本性だ。
理性が崩れる。
弁えていた正しさが期待の邪魔をする。
いけない。
「――帰るか」
「はい……」
益田に肩を貸して、狭い階段を上がっていく。光るネオンだけが明るかった。
「ご馳走様でした」
地上に出ると雨の匂いがした。夜の空から降り始めた雫は、次第に強くなって篠突く雨になる。こんな中ふらふらしているおとこを帰すわけにはいかなかった。
「うちで休んでいきなさい」
「でも……わるいですよ」
「雨だぞ」
「それじゃあ……止むまで……」
「おいで」
探偵社に続く階段を上っていく。登っていくたびに、闇が深くなる気がした。
「少し濡れたな。着替えなさい」
「そんなあ、悪いですよ」
「いいから」
手を引いて寝室に連れ込んだ。ベッドに座らせて、ジャケットをはぎ取る。触った生肌は少し熱くて、火照っている。
「自分でやりますよお」
「出来てないじゃないか」
「わ」
体のバランスを崩して、榎木津は益田を押し倒すような格好になった。はた、と時が止まる。自分の下には、熟れた体。
「榎木津さん……」
ぼんやりとした益田の視線は、めずらしく榎木津に集中していた。
生唾を飲み込む。
「マスヤマ」
いけない。
理性より情動が早かった。
赤く火照った喉元に、歯を立てた。そこはやわくみずみずしくて、若者の生命を示していた。壊してしまいたい、優しく扱いたい、二律背反がくちの中で渦巻く。躊躇った犬歯は、一度離れてから強く皮膚に突き立てられる。
「あ、え、の……」
首筋に、赤い花が咲く。色の白い益田に良く映えて、自分が成した印だと思うと体の奥が熱くなる。
益田のシャツをはぎ取って、ベルトをはずし、服を乱す。自分の衣服も脱ぎ捨てて、肌と肌を触れ合わせた。
こんなことをしたいのは、たった一人しかいない。榎木津は腹の奥で渦巻く強い欲望を感じて、益田のくびを強くまた噛んだ。
「あ、ひ、……なに、」
「は」
益田は抵抗もしないで榎木津のされるがままになっていた。大分酔っている。触れた肌が熱くて、この体に通う血潮が真っ赤だといっていた。
「榎木津さん、」
色めいたこえが聞こえる。こんなこえは聞いたことがなかった。かわいい。耳を戯(そば)える益田の嬌声が、榎木津をたまらなくする。
「いいことしよう」
「いいこと……」
釣り目がちな目の中で、黒目が潤んで揺れている。紅潮した頬、うすいくちびる、上下する胸が、何も知らない純潔を描いていた。
「きもちいい、こと」
「あ、」
雨音に混じって甘いこえが零れていく。
滅茶苦茶にして壊してしまいたい。
益田の処女に、ベッドサイドにあった何かのクリームを塗りこむ。その窄みは榎木津の指をくわえて、きゅうきゅうと弱く締め付けた。
「あ、あっ、え、の、……」
「益田」
益田の中は生暖かくて、蕩けている。体をよじって逃げようとするけれど、榎木津の手からは逃れることはできない。中を確かめる指は増えて、二本、三本と初めての場所を刺激する。
「あっ」
指を引き抜いて、榎木津は足を抱えなおした。益田は浅く息をして、何が何だか分からない顔で榎木津を見ている。
涎が顎を伝っていく。
「龍一」
「あ、あ、あっ!」
昂(たか)ぶりを益田の中に押し込んで、純潔を散らした。
「あぐ、あ、!」
「いいこ」
「んっ」
生暖かい益田の中がぬらぬらと欲望に絡みつく。そのくちを塞いだ。いつも騒がしいくちさきは、この時ばかりはだんまりで、粘膜のふれあいに熱い息を零すばかりだった。
「んっんっあ!」
「は」
繋がっている。滅茶苦茶に体を揺らして、無垢におのれを刻みつけている。苦しそうな吐息を聞いてもなお、律動をやめはしなかった。
ずっとこうしたかった。ぼんやりと生まれた欲望を、ここまで揺籃していた。かれにとっては許されないことに違いない、榎木津礼二郎はこんなことしないと思っているだろう。だけれどこれは榎木津の本望で、剥き出しの欲望だった。
禁じられた遊びをしている。
「ひあ、あ、あっ」
「ますだ、りゅういち」
雨が止むまで、この子は、自分のものだった。それなら雨なんかやまなくていい。夜も明けなくてよかった。酔いが醒めたらこのことはなかったことになる、その筈だ。
「えの、ふあ、あ、榎木津さ、」
「僕だ。ぼくはここだよ」
彷徨う手に指を絡めて、そこから恋情が注がれるように強く握った。反射で握り返されたその緩やかな握力が、愛しくて仕方がない。律動を速めて、壊さないように揺らして、榎木津は益田の中に射精した。
雨は降り続いている。
深い孤独の中で見つけた甘やかさを、どうしても手放したくはなかった。
降り注ぐ現実の雨を遮る傘なんて持ち合わせていない。益田と榎木津は濡れていて、犯した罪をシャワーで流していた。顔がしっかりしている。益田は酔いなどもうとうに醒めていて、体に起きた現実を持て余していた。
「ぼ、僕、帰ります」
体を急いで拭いて、服を乱雑に身につけながら、益田は部屋を飛び出す。雨は止まっていたけれど、夜はまだ深かった。榎木津は何も云わずに濡れたままいた。
一夜限りの関係。それでよかったはずだ。それなのにその先の結末を求めている。
好きだと云って、縛り付けてしまおうか。きっとあの子はそれを命令だと受け止めて従う。それはかなしいことだ。それならまだ、何も云わずに体を欲したほうがいい。体から始まったんだから、このまま罪を深くしたってかまわない。もっと欲しかった、甘く喘ぐかれの横顔を、いつまでも見ていたかった。
「おはようございます――もう午(ひる)ですよ」
益田は何もなかったようにいつもと同じ挨拶をして見せた。けれど昨日みたいに目を合わせない。狼狽している目線は魚のように泳いでいた。
「ん」
応接用のソファに座った益田の頭を撫でて、榎木津は自分の椅子に座って外を眺める。びくりと震えた益田を横目に見ながら。
何もなかったことにするのは、惜しかった。
「マスヤマ、おいで」
「――あの、」
顔を上げた益田と目があった。逸らす前に手を引いて、立ち上がらせる。言葉を遮って、榎木津は廊下を進んだ。昨日と同じように部屋に招き入れる。抵抗はなかった。従順な足取りでついてくる益田は、ただ少しだけ震えている。
好きだと、云わない関係。
ベッドに押し倒したかれの髪が乱れる。
「え、の、きづさ……」
観念したように、益田は視線を横に流す。
本当ならこの子を閉じ込めて自分だけのものにしたかった。くらい欲望が渦巻く。ぐずぐずに溶かして、正しさも間違いも何もなくなった時、ちゃんと告白しよう。そうすればあますことなく、手に入る。この子の理想の外にある思想を、見せつけるわけにはいかなかった。
ゆっくりと、輪郭をなぞりながら榎木津は囁いた。
「お前を、これから、独占(ひとりじめ)するよ――」